【エンパワ日記(特別編)】「エンパワメント」ってなんだろう

カナエールの【エンパワ】といわれるボランティアですが、実は今までこの「エンパワ」という単語について、あまり考えたことがありませんでした。
「なぜ、カナエールのボランティアのことをエンパワと呼ぶのだろう」ということです。
まず、カナエールの主役はスピーチをして奨学金を獲得する【カナエルンジャー】
意味は「夢をかなえる」+「レンジャー(人)」という造語ですよね。わかりやすい。
いっぽう、エンパワの語源は【エンパワメント】だとのこと。
この「エンパワメント」って言葉は、ある程度市民権を得ていますし、たぶんカナエールの「エンパワ」=「エンパワメント」って図式は、具体的な内容はわからなくても言葉の持っている雰囲気で伝わると思います。
さて、カナエルンジャーとエンパワで構成される各チームの構成は、高校卒業したてかもうすぐ卒業の若者1人と、普通に会社員の人だったり、主婦だったり、自営業の人とか、いろんな社会人3人ということで、4人で1チームです。
雰囲気でいえば、
「校長と担任と先輩と、おとなしい生徒」だったり、
「お父さんとお母さんとお姉ちゃんと、やんちゃな妹」だったり、
「近所のおじちゃんとお姉さん二人と、甘えんぼうの弟」だったり、
といった感じで、4人の個性でいろんな組み合わせができます。
 
外側から見ると、
「経験豊富な大人たちが若者へいろいろ教えてあげるんだよね」
「スピーチのテクニックや言葉遣いを指導してあげるんでしょ」
「原稿の作成について、教えたり添削したりして、良いものに仕上げる人かな」
という、「教えてあげる」「指導する」「~してあげる」という感じで、大人が若者を引っ張っていくか、大人が「ガンバレー」って後押しするか、何か「スピーチに足りないものを、大人がうまく補完してあげる」みたいに思われるかもしれません。
 
そこで、いろいろ調べてたどり着いたのが、森田ゆりさんの著作「エンパワメントと人権」という本でした。
その中には、
「人間はみな、生まれながらにしてみずみずしい感性、個性、生命力、能力、美しさを持っている。
エンパワメントとは、私たち一人ひとりが誰でも、潜在的に持っているパワーや個性を、ふたたび生き生きと息吹かせることである。」
と書いてあり、これってまさにカナエールのエンパワのことだ!と、なんか妙に興奮したのを覚えています。
つまり、大人が何か特別なことを教えてあげるのではなく、カナエルンジャー自らが、もともと持っている感性や個性、能力や美しさといったものをどう息吹かせるかがエンパワの役割だということです。
カナエールのエンパワをやっていた時に、カナエルンジャーの成長をそばで感じていたつもりでしたが、実は成長というより、もともと彼ら・彼女ら持っているものが表に現れてきただけなんだ、とここでは妙に納得した感がありました。
そして、カナエルンジャーのみんなへ伝えたい。
120日間必死に模索して、悩んで、考えて、過去のいやな思いを掘り起こしたり、原稿のダメ出しをくらったり、時には忙しくて投げ出したくなったこともあると思います。
それでも過去と向き合って、自分の想いを言葉にして、今まで頑張ってきたみんなを尊敬しています。
そして、今まであなたと一緒に活動してきたエンパワは、本番当日もそばで見守ってくれています。

そんなエンパワを、大人を信じて、何より自分の力を信じて、最後の最後まで、あきらめないで、力を振り絞って、悔いのないように、最高の舞台で最高のスピーチをしてほしいです。
がんばれ、カナエルンジャー!
(実行委員:デイブ)

カナエール横浜へ行って: ルンジャーとエンパワの絆

「夢を語るだけじゃなくて、子どもたちが自立できるように大人がちゃんと道をつくってあげないと…子どもたちは幸せになれないんじゃない?」
少し蒸し暑くなってきた日曜日の昼。
どんより曇った空につられて、そんな言葉を思い出しながら、カナエール横浜の会場に向かいました。
毎年エンパワや実行委員として子どもたちのスピーチを聞いてきましたが、実は4年目にして、はじめて観客席から観る彼らの舞台。
去年までは、本番までに何回か子どもたちの練習段階のスピーチを聞く機会があり、スピーチが完成するまで言葉を加えては削って、言い換えて、というやりとりを自分の目で見てきました。
今年、横浜の6人のスピーチを聞くのは、本番がはじめて。
たった5分間のスピーチから「彼らがどんな120日間を過ごしたんだろう」と想像するのは、去年までと違った、とても不思議な感覚でした。

  • 何度もぶつかって、何度も何度も這い上がって

チームがどんな120日間を過ごしたのかは分からないのに、舞台の上からは不思議と「力強い絆」のような信頼感を感じました。
「子どもたちは、なぜ自分の過去を大人たちに話そうと思ったんだろう」
「子どもからこの辛い過去を聞かされたとき、大人たちは何を思ったんだろう」
あるスピーチでは、後ろで見守っているエンパワが思わず涙を流している姿がありました。

夢は語るだけでは、叶いません。
でも120日間、自分の過去と向き合い、「エンパワ」だけでなく「自分達の夢の仕事をしているたくさんの大人たち」から話を聞き、自分たちで悩んで、考え抜いて、自分で決断した夢。
それはきっとただの夢物語ではなく、憧れでもなく、子どもたちの力でしっかりした道を描いた夢だと、彼らのスピーチをきいて改めて思いました。

「何度もぶつかって、何度も何度も這い上がって」

私は、舞台に立っているたった5分間の子どもたちの姿、堂々と夢を語る子どもたちの姿しか知りません。
今は客席に向かって力強く話していても、カナエールが終わった日常に戻ってから、「困難」にぶつかることがあるかもしれない。もしかしたら「大丈夫」という言葉がただの強がりに変わるときがあるのかもしれない。

“I believe one day I know everything’s gonna be okay.”


そんなときでも、きっと120日間を共にした信頼できる大人たちと、一緒に乗り越えていってくれたらいいな。
舞台の上から感じた「信頼関係」があれば、どんな困難も、いつか「大丈夫」と、言える日が来るのではないかと思いました。
カナエールを初めて客席から観て、何年か後の彼らの姿をこれからも見守りたい。
直接悩みを聞くことができませんが、「数年後の彼らの将来の姿」を楽しみにしている観客が大勢いるということを感じました。
  
「応援者」というより、かれらのファンになったような気持ちになりながら、私の横浜カナエールは終わりました。
カナエールは今年で最後です。
カナエールのスピーチを聞いて、彼らの夢を応援することができないのは少し寂しいですが、残りの東京会場、福岡会場のスピーチも楽しみです。
(実行委員:えるも)